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  • 2007.12.13 Thursday
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闘牛〜真実の瞬間〜(後編)

銛打ちの場(TERCIO DE BANDERILLAS) の次はついに真打ち登場。ムレタ(MULETA)と呼ばれるあの赤いフランネルの布と剣を持った闘牛士(TORERO DE MATADOR)の登場。

闘牛士は自分の一頭目のTOROの死を、形式的に必ず主催者(PRESIDENTE)に捧げる。モンテラ と呼ばれる闘牛士帽を高々と掲げ、“CON SU PERMISO” 貴方の許可をと。

許可を得た闘牛士は闘牛場の中央へ歩を進め、闘牛帽子を投げ捨てる。

ムレタ技の場

闘牛の基本は「ムレタを使って、闘牛を闘牛の行きたくない方向に、スピードを調整しながら行かせること」。牛が闘牛場に姿を現した時から見極めてきたその牛の能力や癖を判断し、ムレタを使い演技を行なう。

ムレタ技の場02

ムレタ技の場03

ムレタ技の場04

一見、簡単そうに映ってしまうその演技は、その実、牛との距離感、連続性、そして何より闘牛士の足が重要視される。牛が突進してきたときに闘牛士の足が微動だにしなければしないほど美しいとされている。

そういった中で闘牛士は己の感性を発揮しなければならない。個人的にお勧めはグラナダ生まれグラナダ育ちの“エル・ファンディ”という闘牛士。この闘牛士の演技はまさに魅せるため、楽しませるためのもの。素人目にも牛を自由自在に操り、かつ観客の目を意識しているのが見て取れる。

グラナダの人たちはこの“エル・ファンディ”を誇りにし、自慢する。“エル・ファンディ”が演技している時、周りのスペイン人は口を揃えて「いいか。やつから目を離すなよ」「見ろ!見ろ!見ろ!すごく美しいだろ?やつこそがナンバーワンだ」としつこく絡んできた。「今日観た中でどの闘牛士が一番だい?」と訊かれ、「そりゃあ“エル・ファンディ”でしょ」と応えると、「だよな〜」と言わんばかりにニヤ〜ッと笑う。

ムレタ技の場05

ムレタの演技が終わり、闘牛士がそれまで持っていたアルミニウムか木の剣を真剣に持ち替えると、“真実の瞬間(LA HORA DE LA VERDAD)”と呼ばれる牛に死を与える厳粛な時間がやってくる。闘牛のクライマックスだ。

ムレタを使い、闘牛士は牛を殺しに入る位置を決める。闘牛の前足をそろえさせて、殺しの準備をする。

真実の瞬間

右手で剣を構え、左手でムレタを使い、TOROの首の後ろの隆起部の中心に剣を45度の角度で突き刺し、心臓近くの大動脈、大静脈を切る。

自分が刺されるか、相手が刺されるかの真実の瞬間(LA HORA DE LA VERDAD)。客席からは「シーッ」という静寂を誘う音がどこからともなく鳴り始める。

真実の瞬間02

真実の瞬間03

パーフェクトに決まると、剣は本当にスーッと入っていき、TOROは数秒後、もんどりうって倒れる。

最高の死は、TOROが一瞬にして倒れ、TOROの両足が天を向くのが良いとされているが、美しい死はそう簡単に与えられない。もし肺に剣が刺されると、TOROは口から苦しそうに血を吐き死んでいく。

そして失敗し続けると何回も刺すことになり、その光景は美しさとはかけ離れ、なぶり殺しの感があり、ともすれば残酷に映り、一気に"ブーイング"を誘う。

さらに剣は刺したが、闘牛に致命傷を与えられない場合は、十字剣(DESCABELLO, CRUCETA)で急所(延髄) を刺して殺す。

その後

美しい死が訪れた時、闘牛場は歓喜の渦に包まれ、そして白いハンカチが舞う。

白いハンカチ

この白いハンカチは主催者にその演技が素晴らしかったということをアピールし、その闘牛士に対する褒美として殺した牛の耳を要求する。そのハンカチの数が多いと判断されれば、主催者は白いハンカチを一枚出して、闘牛の耳を一枚切って闘牛士に与えるよう指示する。それでもまだ観客がハンカチを打ち振って、もう一枚の闘牛の耳を要求している場合は、主催者長の判断によってもう一回ハンカチを出す。昔は闘牛の足まで切り取ったりしていたそうだが、現在では闘牛の尾(RABO)までが最高の褒美とされている。

その後02

この獲得した耳の数が、闘牛士のランク付けにかなり影響してくる。牛の耳の数がその闘牛士の地位と富と名声に大きくかかわってくるのだが、それは闘牛がサッカーや野球のようにはっきりとした結果を争うものではなく、フィギュアスケートのようにその芸術性を争うものだからだ。

耳を受け取った闘牛士は場内を一周し、観客に感謝の意を表する。このとき、客席からは花束や帽子などさまざまな物が投げ込まれる。

終了

さて、殺された闘牛は、Mulillas(騾馬)によって、場外へ運び去られる。

その後03

一級、二級の闘牛場の場合には、闘牛の解体所が設置されており、その場で解体され、保健所管理のもとにマ−ケット、肉屋に持っていかれることとなる。       

闘牛がここまで複雑で格式があり、かつ深いものとは思ってもいなかったというのが、実際に目にした感想。特に“真実の瞬間”、これがあるから闘牛は常に議論の的になり、好き嫌いが大きく分かれるのだろう。

事実、知り合いのスペイン人のほとんどは闘牛を嫌っている。理由は言わずもがな。しかし、物事の一面性だけを見るだけでは、そして実際に自分の目で見ないことには、真実は見えやしない。

スペインの闘牛は廃れずに何百年と続いてきたのか?それは闘牛には真実があるからではないだろうか。


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  • 2007.12.13 Thursday
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  • 08:27
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コメント
はじめまして。宮元さんと同じようにスペインのサッカーに魅了され、現在大学でスペインについて学んでいるtakamasaといいます。よろしくお願いします。自分は今大学でスペインについて勉強してますが、やはり闘牛は自分はちょっと理解しがたいっすね。
  • takamasa
  • 2007/05/19 10:35 PM
>こちらこそはじめまして。

たしかに闘牛はちょっとやそっとじゃ理解できないものです。

実際に生で観て、つくづくそう実感しました。
闘牛を理解することはスペインという国を理解することと同意じゃないでしょうか。

それぐらい奥が深いですね。あれは。
おそらく、スペイン人じゃない限り、
真の意味で理解することは出来ないでしょう。

だったら、他国の人間なりに理解し、
解釈するのが懸命だし、そうあるべきかなと。

  • 宮元友樹
  • 2007/05/20 10:45 AM
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